4月24日の国会で安倍首相は、
閣僚らの靖国神社への参拝に対し、
中韓両国が反発していることについて、次のように答弁した。
「国のために尊い命を落とした尊いご英霊に対して、
尊崇の念を表するのは当たり前のことであり、
わが閣僚においては、どんな脅かしにも屈しない、
その自由を確保している。これは当然のことだ」と。
まことに「正論」だ。
だがこの発言に、無条件で拍手喝采出来るだろうか。
何しろ、当のご本人は参拝していないのだ。
「当然」「どんな脅かしにも屈しない自由を確保している」
のであれば、安倍首相ご自身は
「尊いご英霊に対して、尊崇の念を表する」
「当たり前」の行為である靖国神社参拝を何故、行わなかったのか。
安倍首相はかつてポスト小泉をめぐり、
「誰が次の首相になっても、
小泉首相の靖国参拝は受け継がれるべきた」と言いながら、
自分が首相になった時に参拝しなかった前歴がある。
そのことについて、昨年の自民党総裁選では「痛恨の極み」
とまで言いながら、
この度も、靖国神社春の例大祭での参拝を見送った。
政治の要諦は、「信なくば立たず」(『論語』顔淵篇)。
「信」がなければ政治の根本が立たない。
「信」とは、言葉と行いが一致することである。
振り返ってみると現在、首相の靖国神社参拝が中断しているのは、
安倍首相が第1次政権当時、小泉首相が復活させ、
継続していた参拝を見送ったのが、そもそもの原因だった。
安倍首相はいつ、靖国神社を参拝される覚悟なのか。
BLOGブログ
前の記事へ靖国神社春の例大祭に参列
憲法96条の改正に反対する次の記事へ